静寂の森

no man's land

学びのたより

念願の家のリフォームついでに、身の回りの持ち物を整理した。物として保存する必要がない、自分にしか関係のないものを出来るだけ減らそうと。死ぬ時は家族に出来るだけ物を残さないないのが理想だから。いつまで保存しておくか迷っていた古めかしい黄ばんだ小学校から高校までの成績表や自分が掲載された新聞の切り抜き、アルバムに収められなかったバラバラの写真を、中古のスキャナーを購入しデータ化してみた。この成績表は今から40年ぐらい経っている。高校生までの私の記録や思い出の品はこれだけしか存在していない。私が21歳の頃、父の経営する会社が倒産し父と母は夜逃げ同然で家を出た。その際に母は私の成績表とアルバム、表彰状、新聞の切り抜き、コーヒーカップ1個を持ち出してくれた。私は当時東京で働いておりある日の夜、仕事から帰って来ると私のボロアパートの前に佇む田舎にいるはずの母の姿を見た時には声もでなかった。どうした?5角形一間のカビ臭いアパートに上がってもらい事の顛末を聞いたがあまりにも急な事で何も考えられなかった。母はここに一晩泊まると言うので母をベットに寝かせ私は床に寝た。次の日も仕事だからと母に鍵を預け、帰る時はポストに入れておくよう頼んだ。父が車で迎えに来るようだった。その後に襲ってきた深い絶望感と、もうこれで帰る故郷は無いんだなとの思いに何度か涙したが、当時はまだまだ経済は成長しており未来へ希望が持てるいい時代だったし、若いこともあって仕事に熱中し辛い事も忘れることができた。そんな事も思い出しながらスキャンついでに丹念に成績表を読み返してみて気が付いたことがあった。それが今回のブログを書こうと思った理由だ。私が小学3年生の時、木造の古めかしい校舎が近代的な新築の三階建鉄筋コンクリートのモダンな校舎に建て替えられた。同時に担任の先生も大学を卒業したばかりの新任の男性教諭に変わった。顎髭が濃く剃り跡が青いことを今でも真っ先に思い出す。その先生は結局私が小学校を卒業するまで4年間ずっと担任となった。近頃この歳になって無自覚だった自分の性格や行動のパターンがを知ることが多くなった。妻に言われて初めて気がつくことも結構多い。それが小学校の成績表にすでに書かれていた事を見つけてハッとしたのだ。3年、4年、5年ともうボロクソ。常に書かれていることは「落ち着きがない、集中力がない」であった。私はそうゆうタイプの子どもだったのだ。当時は子ども達はみな人との違いや家庭環境を気にして一緒に遊ばないことなどなかったし、クラスに同調圧力のような空気は一切なかった。部落差別も知っていたが関係なく遊んでいた。押入れを開けるとお風呂場があったりする友だちもいたし、おやつにサラミを食べていたお金持ちの太っちょの友だちもいた。新聞社に務めるお父さんを持つお姫様のように綺麗で、洋風の豪邸に住んでいる女の子も友だちだった。友だちは友だちだ。